PRODUCTION NOTE

伝えたいこと 街のインフラ整備に生涯をかけた昭和の男たち

 東北新幹線「新花巻駅」。岩手県に実在する新幹線の請願駅です。

 新幹線は短時間で移動するための手段ですから、すべての街に駅を設置することは出来ません。綿密なシミュレーションの中で、選ばれた街にのみ設置されています。そのため自治体や住民の希望により設置される請願駅は、新幹線においては在来線のそれに輪をかけて珍しく、現在でも全国で11駅。特にこの映画の舞台となった当時は、三島しか前例がありませんでした。

 新花巻駅は、設置予定のなかった花巻市という街の住民たちが有志として立ち上がり、行政や国鉄の協力を得て、ついには法改正まで行い設置にこぎつけた新幹線請願駅です。そこには、将来の街の発展を願い、それぞれが人生をかけて運動を行った軌跡が残っています。

 もちろんそういった人の思いが全て正しいわけではありません。未来のことはあくまで予測でしかなく、新幹線も新駅設置も、正解だったか不正解だったか、それは映画を製作しただけの私達にはわかりません。

 ですが、私達が現在何気なく恩恵を受けている交通インフラの整備の裏には、様々な人の思いが込められているのだということは、心に留めておいても良いのではないでしょうか。

 この映画は、戦後の混乱から這い上がり現在の日本の礎を築いた昭和という時代に、人々が街のために何を考えていたのか、その一端を伝えたくて製作されました。

地方在住有志が劇場公開を目指して製作した長編劇映画

 映画製作のために駅設置の経緯を改めて追ってみると、そこに普遍的なテーマが見えてきました。今を生きる自分たちの街の礎となった昭和という時代。それは新幹線請願駅に限ったことではなく、どの街にも必ずいた熱い想いを持った人達の物語でもあるし、その影響で思わぬ人生の転機が訪れた人達の物語でもある。そしてそれが今の私達の生活につながっている。街づくりとはそういうことだ。
 そのことを考えたとき、地元向けのビデオで終わるには惜しい。もっと多くの人が、面白いと思える、共感できる物語なのではないか。
 そして決めたことは、劇場公開を目指して長編劇映画として製作すること。地域興しのビデオではなく、観客が見て面白いと思える、商品としての映画にすることでした。
 ただ、この映画は14年間の物語。撮影が長引くのは目に見えています。ドキュメンタリーならいざ知らず、劇映画となると群像劇ですのでキャストも大量に登場し、首都圏の会社に製作を依頼したのでは予算がいくらあっても足りないでしょう。

 それならば自分たちで作ろう。

 そこから、地元岩手県在住有志の、参加者の大半がほぼ初めての映画製作でありながら、スタッフとしてもキャストとしても商品としての完成度を持った映画を目指す大変な日々が始まりました。

撮影の日々

 企画そのものは2010年秋スタートですがその後震災もあり、2013年秋頃に脚本の概要が見え、2014年にスタッフやキャストを募集し始めました。とにかく人が集まりません。とても完成しないと思われることも多かったようです。

 ですが、徐々に人が集まる中で、演劇やテレビなどの経験者も参加し、地元のメディアなどにも応援を頂いているうち、ミーティング参加者も常時10名を超えてくると、徐々に活気づいてきました。

 舞台は昭和46年から60年ですから14年間の物語。キャストもロケ地も小道具も、大量に探さなければなりません。スタッフはほぼ未経験ですから、監督による各部門の役割及び機材の使い方の講習会からスタート。キャストも一部の演劇経験者と大半の未経験者ですからとにかく練習です。また撮影期間は、四季が登場しますので、最低でも1年はかかります。

 2014年7月にスタッフの講習会が始まり、8月にはロケ地探しも始まりました。主要キャストだけで数十名いてしかも大半が50代男性のため、キャストがとにかく足りず、キャスト決めはひたすら難航し、クランクインが迫った時点でも半分くらいだったでしょうか。待っていたら逆に決まった人が辞めるのは目に見えているので、とにかく、キャストが決まっているシーンから撮っていくことにしました。

 2014年9月末にクランクインし、はじめはいっぱいいっぱいだった監督、仕事内容がわからず機能しなかったスタッフ、初めてで緊張しっぱなしだったキャストも、徐々に全体を見渡す余裕ができ始め、撮影開始から4ヶ月、2015年の2月頃には一端の撮影現場が出来上がっていました。

 いろいろなことがありました。キャストの病気や交代。大事なロケ地の撮影許可が降りなかったこと。内輪揉め。大量のエキストラを必要としたシーンは、チームが知名度を獲得するまで撮影を待ちました。

 紆余曲折ありましたが、結果として、ほぼ毎週末撮影し、撮影期間はまさかの2年を超えました。スタッフキャスト他、資金提供、ロケ地小道具提供、エキストラ含め、のべ1000名をはるかに超える人たちの協力があり、2017年5月、映画が完成しました。

 

製作スタッフの声

プロダクションノートの項目としては異例の長さになってしまいますが、初上映時の、製作スタッフ各部門代表の声を、ここに掲載させて頂きます。それぞれの言葉の端々に、携わった全員の想いが垣間見えるのではないでしょうか。

 


脚本・監督 河野ジベ太

 この映画は、一つの駅を中心とした群像劇です。人物も出来事も史実ではもっと複雑ですが、映画として煩雑になるのを避けるためにある程度簡略化し、出来事の時系列も少々並べ替えてあります。その点は実際の駅設置運動に尽力された方々に大変申し訳なく思いますが、どうかご理解の程お願い申し上げます。
 私達スタッフの大半は様々なモノが用意された世界で育った世代。町を、国を、先人たちが作ってきた結果を享受した世代です。その意味ではそういった時代への畏敬の念であったり、憧れの気持ちであったり、そういった感情もあります。人間が、命がけで発展を目指した時代。今とはまた、少し考え方が違うと思いますが、人のエネルギーを感じる時代です。新花巻駅もそのような中で作られました。
 一方で撮影を続けるうち、駅設置に関わった人も、映画作りに参加した人も、共通していると思えた部分があります。新しいことへのチャレンジ。難題への挑戦。そういった中で生まれる葛藤や悲しみ、喜び、感謝、そういったものが、年齢としては20代30代のみならずたとえ中年以上の年齢あっても、まだ真っ只中の「青春」と言えるのではないか。
 これは新幹線駅設置を巡る映画であり、またそれに関わった人たちの青春映画でもある。撮影中、そんなことを考えていました。
 なお物語の構築にあたっては原作、重要参考文献、及び取材協力頂いた皆様に、多くのご協力を頂きました。この場をお借りし、改めて御礼申し上げます、ありがとうございました。

 


プロデューサー部 小原良猛

 ネクタイ映画の活動拠点は当初、花巻市の交流会館をお借りし、連絡先も観光協会様に頼んでおりました。脚本も完成間近となり機材使用訓練やリハーサル等活動も活発になってきて、間借りから自分たちの拠点の必要性が高まってきました。
 お金はありません。ご協賛のお金はなるべく節約したい!!
 そこでわたくしの会社が事務局兼倉庫兼稽古場兼小道具大道具制作工房になりました。
 パソコンが持ち込まれコピー枚数も万枚を超えました。撮影時の賄いも現地で作れなければここで調理してロケ現場にケータリングです。深夜までの様々な作業を遅くまでするスタッフに鍵を渡し、お先することもしばしばありました。
 今は上映委員会となり集まる頻度は減ったものの残業している社員のように当たり前の顔して、会社帰りの夜や休日に作業するスタッフたちなのであります。

 


企画・コプロデューサー高橋修

 この話を映画化しようと思ったのは、つい30年程前の話にも関わらず、余りにこの真実が地元市民の間ですら知られていなかったことが事の発端です。郷土愛一本で逆転に次ぐ逆転を繰り広げるこのストーリーは、映画を通して多くの方々に南部の地に流れる『決して諦めない』と言う堅忍不抜の精神を感動と共に皆さんに伝えてくれる事でしょう。
 私は市内の各企業を中心に、この映画製作に関わる協賛金を集めて歩きました。当初はこの活動をご理解いただくまで数回足を運んだ企業様も実際にございました。しかし映画が完成した今、これだけは言えます。この映画に地元企業として協賛金を出しておいて本当に良かった。
 この映画を見た方は、間違いなく自分達の故郷がもっともっと好きになると思います。 

 


演出部 村上博子

 演出部の役割は「映像に映るもの」に責任を持つことでした。建物に手作りの看板を取り付け会社とし、家具を運び入れアパートの一室にし、商店の品物を作り、料理の準備をし、部屋の置物、事務室の書類や備品を揃え、昭和の衣服や小物を集めました。これらは演出部だけでこなせた事ではなく、「○○が必要なんですけど!!」とSOSに近いお願いをすると、「持ってる!」「知り合いに聞いてみる!」と応えてくれたスタッフ全員の協力と尽力を得て、やっと出来た事でした。撮影現場ではカメラマンも兼ねている監督の準備中にそのシーンの練習を手伝い、皆の元気の為においしい食事が出来るよう気を配ってくれた食事部と進行状況の連絡を取りあい、予定通りに進まずにお借りしている撮影場所の撤収時間が迫ってきた時は監督や制作部に助けてもらい、何度もカメラを覗き映像の隅をチェックしつつ、手作りのカチンコで進行してきました。うまく行かなかった事、失敗もたくさんありましたが、皆が励まし合い笑いのある撮影現場だったからこそ、クランクインから一年以上もかけた長い撮影を続ける事ができたと思います。
 ご協力をして下さった皆様に改めて深謝いたします。でもこの映画を観に来て下さった皆様には場面の背景などに気をとめることなく、町やそこに生きる人々の未来のために戦った人間達の物語を楽しんで頂きたいです。それこそが演出部の喜びと幸せだと思います。

 


制作部 堀切和重

 制作部は、今振り返ると、撮影をするために必要な全ての事を段取りする役割でした。
 撮影シーン数は104。これが多いのかどうかは分かりませんが、私達にとってはすべてが初めてのこと。長いながい道のりでした。何一つとして楽な撮影はなく、毎回30人前後の老若男女のキャスト・スタッフを掌握し、決められた時間内に物事を進めるためには、多少の強引さも必要でした。
 平日は、仕事終わりに集まり、週末の撮影に向けて打合せ、キャストの読み合わせ、更には翌週の撮影の段取りも。土日は、暑い日も寒い日も屋内外で、朝から夜まで撮影を繰り返すという壮絶なスケジュールを約2年もの間、ほぼ休み無しで進めてきました。『気力と体力勝負』そんな部署でした。大変さの中にも撮影場所を貸してくださった方々、キャストやエキストラの皆さんなど、沢山の方々の協力を直に感じられる部署でもありました。協力くださったすべての方々にこの場をお借りして感謝申し上げます。有難うございました。

 


撮影部 河野ジベ太

 撮影部はいかにしてそのシーンの芝居を効果的に見せるか。細かなカット割が良いのか、長回しでじっくり見せるのか。引きで全体を見せるのが良いのか、アップで切り取るのが良いのか。一方で、オールロケなので様々な制限がかかってきます。時間制限、映せないもの、時間帯・・・目に見えるものだけに簡単なのですが、同時にとても正直です。
 チームとしては撮影部は監督件撮影の私含め3名、一部空撮でプラス1名。いずれにしても少数精鋭でしたが、必要なときに必要な仕事の出来るメンバーでした。結局、撮影の話しかしなかったので、2年以上も付き合ったのにどういう私生活なのかほとんどわかりませんでしたが(笑)。
 観客の皆さんが見るのは切り取られた映像だけですから、他の部門の皆さんが用意してくれた全てが、カメラに集約されてしまいます。逆に言えばそれを裏切ることは出来ません。だから、ワンカットに全てをかけて撮影してきました。
 みんなが用意してくれたものは、撮り切れているのか。今はただスタッフ・キャストの努力が無駄になっていないことを祈るばかりです。

 


照明部 高橋哲郎

 私達照明部は、他の部署に比べ分かりやすく、読んで字の通り「照明」を取り扱うわけですが、ただライトを置いて明るくすればいいものではなく。例えば、暗がりで会話すれば顔なんてカメラには映りませんから、カメラに映るようにとただ明るくしたのではウソのシーンになってしまいます。この部屋はここに窓があって、こちらから光が射すから同じ方から照らす。でも顔に影ができて不自然だから逆からも弱めの明かりを当てて影を調整、明るすぎてNG、暗すぎてNG、照明機材が映ってNG・・・素人のやるもんじゃないと四苦八苦しながらも、何とか最後までやり遂げることができました。
 人手も足りず、他部署から応援を頂いて撮影することもありました。それでも演者の皆様がリアルに映るよう、精一杯の仕事をさせて頂きました。皆様の目に銀幕の登場人物が輝いて映ることを祈って。

 


録音部 小岩悟

 小原良猛さん(後の実行委員長)に映画製作をしてみませんかと誘われ、右も左もわからない状態で参加することになりました。河野監督からは録音部をやってみませんか、という問いかけに「何も分かりませんがやってみます」、という状態からこの映画製作の一歩が始まりました。
 当初は河野監督に言われていることが理解できず、意見がぶつかる面もしばしば、音が割れている、キャストの声が小さい、マイクの向きでオンオフを理解してやりましょう、という檄が飛び、困っている時には録音に詳しい若者が居てくれて頼もしかったです。
 撮影部や照明部と違い音は撮影された映像と噛み合わなければ意味がない難しさがあります。でも、やりがいのある部署ですよ、と煽てられながら活動し、一つに思い出すのは冬場のほんと辛い撮影でしたね。
 撮影を重ねるごとに言われていることが理解でき、録音する面白さが分かりました。でも、録音した音が確認できるのは映像と音を編集した後にしか確認できません。共に活動したみんなは上映を楽しみにしています。
 撮影の掛け声の「始め~カットー!」みんなで映画作りをして楽しかったし、この映画で知り合えた方々と録音部に携わった方々との活動ができたことに感謝しています。ありがとうございました。

 


メイク 高橋省子

 「全員が主婦」そして仕事を持っているスタイリストメイクチームの四名が、映画のヘアメイクを担当する事になるとは、誰しもが今までの日々の生活の中で思いもよらなかった事でしょう。
 でもそんな私達ですが、やると決めたからには責任を持ち最後までやり遂げる決意で、この映画に取り組んで来ました。ミーティングの前日までには連絡を取り合い、メイク担当が撮影当日の1日不在にならぬよう細かい時間割で活動をして来ました。
 映画のヘアメイクを初めて経験する私達は、キャスト・エキストラにどのようなメイクをすれば良いのか…?若くする(黒髪にする・ハイライトを入れて肌色を明るく元気に見せる)老けさせる(白髪・シミ、シワを顔に表す)あらゆる映画、雑誌などを見て研究しました。
 一番大変だったのは、時代の流れと共に撮影するのでは無く、年代を前後しながら映す。(若い青年が年を取り、また若返る)そういった繰り返しの撮影の中で、前後の繋がりを意識したヘアメイクをしてきました。
 ある日の撮影では、早朝から深夜まで雪の舞い散る田んぼの畦道に、スタッフが持ってきてくれたストーブに撮影隊がお互いを気遣いながら代わる代わる手足を温め励まし合い頑張った時の夜空の星がとても綺麗だったのが思い出となりました。いつか私達の撮影した映画があの時見た星のように輝く映画になってくれる事を願っています。
 ネクタイを締めた百姓一揆を応援してくださった皆様、そして2年8ヶ月もの間、私達スタッフ全員を支え、協力し、応援してくださった家族の皆様、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございました。

 


食事部 藤本小雪

 夕方の撮影が遅くまで時間がかかりそうなので、「小腹に」とおにぎりと卵焼きを3、4人で作った日がありました。それがきっかけで、そのまま食事担当になってしまいました。
 そこでメニューは、どうしたものかとネットで検索したり、買出し中も考えては、つまみを食べてては、「これは、ご飯にのせるといいかも」「もらった野菜があるから使って」と行き当たりばったりの早くて簡単な賄いメニューでした。
 撮影現場が屋内、屋外といつも調理場があるわけではなく、調理は花巻牛乳事務所を借りて行い、撮影現場と連絡を取り合いながらと、時間調整に苦労したこともありました。
 調理実習みたいで、ワイワイ楽しく調理をし、男のカレーを作ってもらったり、その日のメンバーで食事を作りました。時には、作りすぎてご飯が残り、おにぎりを握って撮影が終えてから食べたり、持ち帰ってもらったことや真冬の撮影ではみんなに温かいものを食べてもらいたいと工夫したつもりでしたが、運搬に失敗してスープが少なくなってしまったこともありました。
 「美味しかった」「これはどう作ったのか」とかの声を聞いて励みになりました。腹痛もおこさず、文句も言わずに食べて頂きありがとうございました。

 


広報部 河野日登美

 長期にわたる撮影でしたので、「まだ撮影しているの?」とたまに聞かれたりして・・・、その度に周知活動の難しさを感じました。
 スタッフやエキストラ募集、マスメディアへの協力要請、ホームページやfacebookの更新など、周知が広報部の仕事でしたが、広報活動自体は参加できるスタッフ全員でやっていました。
 少数で始めたスタッフ募集やエキストラ募集。飛び込みでポスターを貼らせて頂き、新聞やテレビ出演の協力をお願いし、記者会見なども行いました。
 土澤アートや花巻市内の宵宮、各会合へ宣伝やチラシ配りや、リヤカーを引いて市内全体を一日中歩き回ったりもしました。
 何とかテレビに取り上げてもらえないかとわんこそば大会へ出場し、大食いを競って頑張りました。
 またホームページの『活動の記録』を通して撮影時の悲喜こもごもをお伝えしてゆくことで映画を観る時のエッセンスになればと、撮影秘話、裏事情、スタッフの苦労などを書いています。
 撮影が終了した平成28年7月以前の活動の記録を知ることで映画の面白さが増すと思いますし、後半は、陰で頑張っている人にもスポットを当てたいという意図で監督が非公式でコメントしているものをこっそり紹介しています。
 facebookも撮影時の様子がより細やかにアップされていますので、ぜひご覧ください。
 今後は、全国上映へ向けてより多くの方に観ていただけるようもっともっと頑張ります。
 皆様の応援が励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。

 


俳優部 千田秀幸

 地元を舞台にした作品なので、岩手県民として生半可な覚悟で望めないと、撮影に入ってから強く感じました。
 撮影初日、他の俳優陣にも同じ様な緊張の色が漂ってました。
 大半のキャストは未経験者でしたが、演技力を超えたその人自身の人間味がカメラに記憶されたと私は信じています。
 プロの俳優ではない私たちが、出来ることは今までの自身の人生を役に反映させ、気持ちを作り、例えそれが不恰好だとしても、人の琴線に触れる芝居を作ることです。
 下手は下手なりに!!
 気持ちで勝負!!で役者全員挑みました。
 映画というのは、時間を切り取る芸術だと私は認識しています。
 この作品が、いつまでも皆さんの心に残ることを願ってます。
 そして映画というのは、多くの人の時間や、手間を割いて頂いた上で完成します。
 もちろん私たちも、気持ちよく撮影出来たのは、スタッフの皆様はじめ支えて下さった方々のお陰です。
 この場を借りて、改めて感謝申し上げます。