時代背景

 この映画は1971年(昭和46年)に始まり、1985年(昭和60年)に終わる。昭和後期を舞台にした映画、と言えるだろう。

 劇中描かれるのはもちろん駅設置に関わる出来事であるが、14年間という長い年月の物語ゆえ、時代の変遷が物語の背景に見て取れる。そしてもちろんそれは、駅設置の行方に大きな影響を及ぼしたと思われる。
ここでは関連する時代背景について触れてみたい。

国鉄を巡る状況

1:高速鉄道

大雑把に言えば新幹線は元々、輸送力の限界に達していた東海道本線・山陽本線の複々線化の話に、弾丸列車計画時の高速鉄道の技術部隊が乗っかって計画されたものである。その際世界銀行から融資を受けたため国家的プロジェクトとなった。1958年に計画が承認され1964年に開業した東海道新幹線は、需要がある地域に世界初の高速鉄道の敷設で日本中の注目の的になり、あこがれの対象となった。その後赤字に転落していく国鉄の中で、重要な収入源にもなっていく。

一方で、この映画の題材である東北新幹線は、1970年(昭和45年)に公布された全国新幹線整備法に基づいた、現在も建設が進む「整備新幹線」の一つであった。整備新幹線の目的は経済発展地域振興であり、元々の輸送力の需要が大きかったわけではない。特に東北新幹線は雪への対策で予算が大きく膨らみ、それらは請願駅設置などに大きく影響していると思われる。

 

2:マル生運動

1970年(昭和45年)、国鉄当局は生産性向上運動、いわゆる「マル生運動」を開始した。これは1960年代末期の国鉄の職場環境を整えようとして実施されたものだったが、労働者側からすると労働強化であり、管理職と労働者の対立が深まる結果となった。そこに組合や政党などが絡んで、最終的に国鉄当局は、公共企業体等労働委員会から不当労働行為であると勧告されることになる。それがちょうどこの映画の冒頭、東北新幹線基本工事計画発表とも重なる、1971年(昭和46年)10月のことであった。

敗北した国鉄当局は、その後労働組合側からの糾弾を受け続け、やがて1974年(昭和50年)末の「スト権スト」につながっていく。

 

3:国鉄内の労働組合

国鉄には当時、3つの労働組合があった。最大勢力である国労(国鉄労働組合)、国労から分離した機関士をを中心とした動労(国鉄動力車労働組合)、そして国労から穏健派が分離してできた鉄労(鉄道労働組合)である。鉄労は労使協調路線であり最小勢力、マル生運動でも当局に協力し、スト権ストでも中立的な立場をとっている。

映画の中ではソガワら大半の国鉄職員は国労に所属しており集会のシーンでは国労の旗が見える。ほか一部が鉄労、動労所属でマル生運動のニュースを見るシーンでは鉄労、スト権ストのシーンで動労という言葉が登場する。

 

4:スト権スト

マル生運動で勝利した労働組合側は、その後も当局への糾弾を続け、後の「スト権スト」に発展する。これは公共企業体ではそもそもストライキの権利が容認されておらず、全てが違法ストになってしまうため、それらへの抗議として行われたものであった。しかし実質は、労働組合と国という巨大な対立の図式を持ったストライキであったと思われる。

1974年(昭和50年)12月、映画では後半に登場するこのスト権ストは、国鉄労働組合の他、対立することもある国鉄動力車労働組合も協力し、国鉄史上最大の労働者の命運をかけたストライキだった。

皮肉なことに結果としては労働組合側が張子の虎であったことを示すような大敗北を喫し、国鉄の運命を大きく左右していく。

 

5:分割民営化

スト権ストで大敗北を喫した労働組合は、急速に求心力を失っていく。赤字解消の術もなく、組織としても限界の来ていた日本国有鉄道は、1987年(昭和62年)に分割民営化されることになる。1985年(昭和60年)の新花巻駅設置の、2年後のことである。

なお所謂三公社五現業のうち、三公社は全て中曽根内閣により民営化されており、1985年日本電信電話公社と日本専売公社も民営化されている。国鉄の民営化が遅れたのは、巨額の累積赤字、労働組合問題、最多の労働者の処遇など調整に時間がかかったものと思われる。

 

日本を巡る状況

1:高度経済成長

日本の高度経済成長は1954年末から1973年(昭和48年)末までと言われている。1973年は田中角栄内閣であった。この映画の始まり、1971年(昭和46年)は高度経済成長の末期ということになる。

 

2:日本列島改造論と田中角栄

田中角栄は1972年(昭和47年)6月、日本列島改造論を掲げ、同年総理大臣となった時代の風雲児であった。この映画で言えば前半である。日本列島改造論は平たく言えば地域分業と高速交通網の整備で地方を活性化させ、日本の発展を促すという内容であり、市民会議らのような地方の街づくり団体にとっては本当に頼れる存在であったと思われる。

なお当時国会議員になったばかりの小沢一郎は田中角栄を「オヤジ」と慕っていたことはよく知られている。そしてこの時代、椎名悦三郎という大物がいる地元水沢で作れず、まだ若者の小沢が花巻で活動していたことが、劇中登場するエピソードに発展する。

 

3:第一次オイルショック

1973年(昭和48年)に始まった原油高による世界経済の混乱の通称である。産油国にエネルギー原料を依存した国の脆さを露呈することになり、翌年1974年には狂乱物価と呼ばれる物価高が発生し、トイレットペーパーや洗剤など原油高と直接関係ない物資の買い占めまでが起こり、社会現象となった。

 

4:ロッキード事件

1976年(昭和51年)明るみに出た大規模汚職事件である。これは米航空機製造会社のロッキード社による収賄事件であったため、日本以外にも多くの国が巻き込まれた。日本で特にインパクトが大きかったのは、金額もさることながら、アメリカという国の裏側を垣間見る事件だったこと、時の人であった田中角栄元総理絡みであったこと、また事件周辺人物の相次ぐ怪死などの影響であろう。事件全貌は現在でも謎のままである。

映画の中では国会時のビル屋上と国会後のラジオ放送でさらりと触れられるだけであるが、これもまた一つの時代の終わりを象徴する出来事であった。

 

5:国営から民営へ

戦後に設立された三公社(日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道)。中でも戦後の引き上げ組の関係もあり国鉄は一時職員61万人を抱える、最大の公社となった。

しかし混乱からの復興は進み、公社は時代に合わなくなっていった。役割を終えたと判断されたのである。

三公社は全て1985-87年の間に中曽根内閣により民営化されており、その後も民営化の流れは継続している。

 

社会情勢

1:労働組合・奉仕団体・友好団体 ロータリークラブ・ライオンズクラブ・青年会議所・婦人会等

思い返せば昭和とは「組織・団体の時代」だった。労働組合しかり、劇中前半活躍する市民会議も、メンバーはライオンズクラブ・商工会議所・青年会議所・ロータリークラブ等に籍をおいていたり、関連がある人物ばかりである。

このような組織重視の流れが出来たのは、民主化や5大改革指令の影響もあるだろうし、インターネットなどの存在しない時代の活動の基盤でもあるだろう。

一方で、生活基盤の安定に伴い、社会共通の敵が存在しなくなり、学生運動や労働組合は失速。この映画終盤は1980年代に突入しているが、その頃日本は様々な理由で組織の時代から個人の時代へ突入している。

しかしながら労働組合組織率が低下した結果ということでもないのだろうが、現在の日本の貧富の差の拡大、二極化の傾向を見るに、組織全てが悪だったとは言い難いところがあると思われる。

 

2:女性の立場 

女性の立場は現在も諸事情を考慮した「バランスの良い平等」に向かった調整を続けている途中ではある。明治大正の婦人解放運動から大戦を経て、やがてこの映画の初期には活躍していた婦人会もおおよその役割を終え、映画終盤には女性個人が立ち上がる時代へと移り変わりを見せている。映画の中では、例えば前半は、会社を顧みず奔走するタニカワの影で、苦労を背負う妻の姿が垣間見える。後半になるとソガワと同棲していたエリが単身東京に向かったり、結婚後のカンノが花巻駅を訪れた際に、女性駅員が対応したりしている。実際この映画終盤となる1980年には、国鉄初の女性駅長が誕生している。