STORY

 1971年(昭和46年)10月、日本国有鉄道は、東北新幹線基本工事計画を発表。東海道新幹線の大成功から、新幹線が日本中で期待の的になっていた、そういう時代であった。

 岩手県花巻市では停車駅設置有力の前評判に市民は大きく期待していた。しかし発表された設置予定停車駅は一関、北上、盛岡。そこに花巻の名は無かった。その上、線路も街の中心部を大きく外れていた。

 誰もが諦めかけたその時、数名の市民が立ち上がる。「東北新幹線問題対策花巻市民会議」。有力者が尻込みする中での少数精鋭の有志団体であったが、発足直後から即座に行動を開始。市民総決起大会を開催、国鉄に直談判に行くなどその後の駅設置運動の中心的な存在となっていく。

 彼らの当初目標は、大きく街を迂回する形となった新幹線線路の路線変更。すなわち、-将来的な駅設置の可能性を高めるために、まずは線路を街の中心部に持っていかなければならない。そのためには土地を国鉄に売らないこと-これが彼らの基本戦略であった。

 だが市街地中心のこの戦略は、地権者たちと衝突し、空回りしてしまう。

 もがき続ける中、新しい街の形が見えてくる。新しい花巻。やがて地権者や行政とも団結し、体当たりで駅設置の方法を探っていく。

 一方、日本国有鉄道は赤字を抱えたまま解消できる算段もつかず、労働組合は暴走し、国民からの非難は大きくなるばかりであった。そして勃発した「スト権スト」。国鉄は大きな方向転換を迫られていた。

 また一方で花巻市に新駅が設置されるには、超えなければならない大きな壁があった。一つは数十億かかるという予算の問題。そしてもっと大きな問題は、仮に予算を計上出来ても今度はそれを駅設置に使えないという法律の問題である。

 果たして駅は出来るのか。時代に翻弄される国鉄を背景に描く、新幹線請願駅の1つ・新花巻駅設置を巡る14年間の物語。

 

 

 

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東北新幹線新花巻駅前には、当時の運動の足跡を残す記念碑が設置されている。